作成日:2023/07/17
祇園祭
17日午前、祇園祭・山鉾巡行(前祭)を見物してきました。1100年以上の歴史を 持つ、1カ月に及ぶ八坂神社の多彩な祭事の一つ。コロナ禍を経て、4年ぶりに旧来の 祭事全部が復活するということで、事前の評判もあり、私も四条河原町一帯を動きなが ら計23基の山と鉾の通過を目の当たりにしました。 梅雨明け(18日ごろの見込み)目前の猛暑日。四条河原町の交差点は山鉾の90度の方 向転換「辻回し」が目の前で観られる、ということで立錐の余地なく、騒然としていま した。外国人も目立ち、沿道の3分の1ほどが白人および言葉と雰囲気で分かる東洋系 の方々にみえます。マスク着用は地元住民と国内居住の旅行者に限られ、外国人はほぼ 未着用でした。 ともあれ、祇園祭は華やかでゆったりしていて楽しい祭事です(「後祭」は24日で計 11基が巡行)。日本三大祭は他に、天神祭(大阪天満宮)と神田祭(神田明神)。それ ぞれ持ち味があるようですが、ここで私が思い出したのは、いきなりですが、第二次大 戦におけるインパール作戦の従軍兵団です。 1944年3月〜7月、ビルマ北部に向けての行軍および英国軍との戦闘で敗退した「陸 軍史上最悪の作戦」。時期をどこで区切るかによるものの、将兵約10万が侵攻・撤退し たインパール作戦では3万の死者(うち6割強が病死・餓死)を出し、兵站と現地情報 の把握を欠いた無謀かつ強引な作戦として知られています。 この作戦の初期、主要兵団の一つは京都と豊橋の師団で構成され、「祭兵団」と呼ば れました(他は「烈兵団」と「弓兵団」)。私は以前インパールに関心を持ち、多少調 べた折に触れたのは「祭兵団」の「祭」は「祇園祭」に由来するという伝聞でした。つ まり、当時日本の代表的な祭は祇園祭で、主に本籍・京都の兵隊から構成されるため、 勇ましくもない「祭兵団」になったと聞いた次第です。 戦前、大阪と京都の兵隊は弱く、「またも負けたか八連隊(大阪)、それでは勲章く れんたい(九連隊=京都)」という囃子言葉が大阪の歩兵第八連隊、京都の第九連隊の 行進に沿道の子供らから公然と投げつけられたといいます。 その弱い京都の陸軍歩兵がインパールでおびただしく死んでいったーー。とはいえ、 祇園祭の見物後、ブログにてインパールのことを引っ張り出すなど、唐突かつ不穏当で す。しかも、改めて調べると「祭兵団」の「祭」は、祇園祭ではなく、王城鎮護のため の上下の加茂神社の「葵祭」(5月)に由来するとか(先ほど検索しました)。 また、大阪と京都の歩兵連隊が弱かったという事実はなく(東北や九州の兵隊より弱 かったことは容易に想像できますが)、ただし畿内出身の兵隊は「口ばかり達者で、明 らかに負けそうな時は突撃などせず、すぐ逃げる」などの評判はあったそうです。最高 気温37度の余波で、書くことがぐらついています。ご寛恕願います。