桂川通信コメント
桂川通信コメント
作成日:2020/12/02
吉本新喜劇



 11月末、吉本新喜劇の舞台俳優だった船場太郎さんの訃報が流れました。81歳。50代で吉本興業から離れ、長く大阪市議を務めた二枚目の元コメディアンです。

 1962年に毎日放送(MBS)でスタートした「よしもと新喜劇」は毎週土曜の昼の1時間、なんば花月などの公開録画を放映するスタイルで、もう58年も続いているということです。私らが笑っていた昔は花紀京、岡八郎、原哲男らがメインで、あざとく、粗野であけっぴろげ、ときに下品で、本音丸出しの捨て身のギャグを連発するドタバタ劇ばかりでした(最近のは全然知りません)。

 戦後昭和の長い間、小中学校が土曜半ドンだったころ、関西の少年少女は学校から帰った後、チキンラーメンなんかを食べながらあの中継を観て笑って過ごすのが定番。沢口靖子さんらは「土曜の昼はテレビで新喜劇を観て笑うのが、大阪の子供の当たり前、常識、決まりでした」と口を揃えていますが、京都や兵庫、奈良、滋賀、和歌山あたりでもたぶん事情は同じ。

 当時の自宅(亡父が勤めていた会社の宇治の社宅)に白黒テレビが入ったのは、新喜劇の中継が始まった頃とほぼ同時期でしたから、私など「プンワカプンワ」のテーマ曲で始まる中継を毎週欠かさず観ていた最古参の元ファンかもしれません。しかも、土曜の昼に他の誰がテレビで新喜劇を観ているのか、などに関心はなく、関西一円の当時の多数のガキどもと体験を共有していたのを知るのは、だいぶ先の話になります。

 新喜劇の録画中継は名古屋、広島、福岡あたりでも同じ時間帯に流れていたものの、ウィキペディアなどを覗くと、当時の関東圏での新喜劇の放映は向こうでは相手にされずに失敗し、短期間で終わった由。事情は、関東圏の「お上品で気取った笑い」もやはり関西圏では受け入れられなかったという点で変わらず、東西間の壁はいま以上に双方を隔てていたようです。

 平成、令和と続く世情は、笑いの世界での関東・関西の違いを見えにくくしています。とはいえ、往時の吉本新喜劇のアナーキーで破天荒な暴れぶりに、私は懐かしい「昭和」、携帯もネットもパソコンも電子レンジも学習塾もなかったころの「昭和」を思い出します。

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