桂川通信コメント
桂川通信コメント
作成日:2020/07/02
清風館



 むかし「清風館」入居者による、廃館記念文集『散りゆく花の美しさ』という私家版の冊子がありました。

 武蔵野の外れにあった学生下宿の勝手な命名が「清風館」。唐突な話題で恐縮ですが、40数年前、同じワンゲルにいた私を含む入居者3人が合作で発行した雑文集です。思い出したのは、ワンゲル同期のOB(当然、全員が60代半ば)でLINEのグループを作り、1人が一昨日「清風館」に触れたコメントを流したのがきっかけです。

 当時の(あるいは今も)自宅通学できない学生は共同生活の寮に入るか、下宿またはアパート暮らし。「清風館」は、私が入学から2年間世話になっていた賄いなし風呂なし炊事場ありトイレあり、部屋数3つの下宿でした。私の部屋は3畳ひと間で、家賃月5,000円。松本零士さんの長編漫画『男おいどん』を想起してもらえれば、半ばはあんなふうです。

 容姿、能力、性格、交遊、収入(仕送り+バイト等)、足取り、抱負――。『男おいどん』とは違い、すべてにおいて私は「堅実かつ地味」(笑い)でしたし、地味ながらも信条は「硬派」でしたから、生活も行動も質実剛健、秋霜烈日、四面楚歌、さらには人畜無害さながら。

 しかも、地味であることを隠さず、堅実であることを誇らず、淡々と過ごす面々が多数派でしたから、孤立感は持たず、いわばそれが2度の石油危機直後のはたち前後の常識的な生活スタイルでした(本当か?)。

 逆に、若き女性に接近することばかり考えているヤツはただの「ナンパ野郎またはスケベ」でしたし、下宿に電話を引いたり、テレビを置いたりするのは身の程知らずのぜいたく。親に買わせた車を運転しているヤツは「カッコをつけたがるだけの能天気な遊び人」(当時はごく少数)でした。

 「清風館」をめぐる廃館記念の雑文集はそんなモノクロトーンの、実際上はふざけた生活を繰り返しているさなか、老朽化で家主が下宿の廃業を決めたらしい、という誤報が流れたのがきっかけ。ヒマを持て余したあげくという気配もあるとはいえ、編さんした1人は長じて首都圏の高等学校教育界で重きをなし、1人は大手信託銀行界で重きをなし、対照的に私は記者崩れの果てに今も「清風館」を思わせるアパートでくすぶっています。

 さらに、LINEで「清風館」を思い出させたもう1人は、やはり首都圏の社会福祉業界で重きをなしていますが、今回、図らずもネタ枯れの私に無理筋の材料を提供したという功績が加わったようです。おおきに。

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