桂川通信コメント
桂川通信コメント
作成日:2019/10/02
鳥人幸吉



 1785年ごろ、備前・岡山の表具師幸吉が、木と紙で作った「羽根」を背負って橋から飛び降り、数十メートル(?)を滑空した、という伝説が残っています。

 幸吉28歳、飛んだのは岡山城下の旭川に架かる京橋の欄干から。幸吉は城下の武家や商家相手に床の間などを作る本業の一方、鳥の羽を真似た凧のような造作に熱中し、ときどき家の屋根などから試しに飛んでいたということです。動力飛行のライト兄弟(米国、1903年)はもちろん、グライダーのリリエンタール(ドイツ、1891年)より100年以上も前、つまり「世界で初めて空を飛んだ」とされる「鳥人幸吉」の誕生です。

 幸吉の実在は、岡山・池田藩から「所払い(追放)」された後、駿府(現静岡市)で商家を興した一族の菩提寺の過去帳に名前が認められる、と言います。幸吉が飛んだという風聞は当時の文人の随筆にも残っているということです。私は前職時代の20年近く前、岡山に単身赴任していた折、幸吉の事績を顕彰する方々に会ったこともあります。

 以来、幸吉のことは頭に残っていましたが、今回、その生涯をドラマチックに再現した飯嶋和一さんの長編小説『始祖鳥記』を読み終えたことが、この「天災と飢饉が列島を襲った天明期、何かをやらかして岡山から追い出された」幸吉を思い出すきっかけになった次第です。

 もっとも、ライト兄弟やリリエンタールと異なるのは、幸吉が滑空した記録だけでなく、どんなグライダーを作ったのか、といった詳細が何も残っておらず(というか、未発見)、明治以降、地元で再現された「実物大の模型」等はすべて想像の産物にとどまる、ということです。

 鳥人といえば、読売テレビが1977年から琵琶湖東岸で主催し、放送している「鳥人間コンテスト」を連想します。調べると、コンテストの「滑空機部門」では湖岸から501メートルを飛んだという記録がありました。『始祖鳥記』は、40代になった幸吉が駿府の安部川近辺で再び空を飛ぶ場面で終わっています。500メートルほど空中にいた、とも読める、感動的なラストでした。

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