作成日:2019/09/17
正義の味方
また1日遅れの発信で、しかも依然ネタ枯れ。やむなく、ザレゴトを持ち出してしのぎます。ザレゴトとは「私は『正義』という言葉が嫌いだ。聞くだけで虫酸が走る」――。
分かりやすくいうと、自分(たち)が正義であり、敵対する相手方に正義はなく、従って自分(たち)には相手方を非難・否定・攻撃する権利がある、と信じ込んでいる面々の言動を指します。この種の面々はときどき出現し、同調する周囲から「正義の味方」式の尊敬を受けることすらあります。
「正義」ではなく「正しさ」と言い換えても可。古女房の尻に敷かれた年寄りのエッセイによくこんな述懐が出てきます。半分はふざけて。「私は常に正しい。自分が正しいと言い張って抵抗する愚妻は、ことごとく間違っている」。
私もこれに似た感想を持つことがあります。もっとも「正義は我にあり」とは言わず、「自分が正しい」とも言いません。せいぜい「こう判断するのが妥当だ」です。妥当、というのは相対状況の中でのとりあえずの「最適解」を意味するにとどまります。
「正しい」であれ「妥当だ」であれ、価値判断している点では同じ。私は目下信心していないので、判断しているのは馬齢を重ねただけの自分であり、だから遠慮して「正しい」ではなく「妥当だ」で抑えている次第です。世にいう「暴走老人」は、自分が正しいと信じ込む独りよがりか、認知症のいずれかに大別されるそうです。