桂川通信コメント
桂川通信コメント
作成日:2018/07/03
偏屈は病気か



ネタ枯れで窮地に陥ったので、また私事を。唐突ですが、21年前、前職時代に書いたコラムを転記するところから。タイトルは「浪人生活」。

……(1997年2月22日夕刊コラム「憂楽帳」)……

 予備校にも通わず、独り近所の図書館にこもって受験の準備――。受験シーズンになると、いつも二十数年前の浪人時代を思い出す。

 図書館にこもるのは毎日ではない。ごくまれに模擬試験を受けに行く以外はすこぶる自由な生活。同時に「明日できることは今日するな」のつもりでも、追われる緊張感はなかなか。と言いつつ、宇治川べりで終日昼寝したり、京都に出て映画館のハシゴをしたり。親がかりの身で自由もヘチマもないが、正直あれほど、偏屈ながらも心楽しい1年はなかった。男女2人連れを見て「あれは兄と妹や」と言い聞かせる空しい場面もなくはなかったが。

 むろん、世間体は悪かった。はたち前が仕事もせず、学校にも行かずにゴロゴロしているのだから、誰だって変に思う。外出すればしたで、妙な後ろ指の気配を感じるし――。

 それでも、不運にしてこの春、進学できなかった若者には、この独りきりの浪人生活を勧めたい。一か八かで自分が試せる。行く末を見据える練習になる。お金も余りかからない。

 ただ、私の場合、まずい後遺症がある。いまだに人間が偏屈なままなのだ。
………

 という次第で、自宅浪人時代に表面化した偏屈はその後、少し収まったものの、やがてデスク時代の上記コラムが自認する通りに「再発」し、さらに20年を過ぎた今、一段と磨きがかかってきました。何らかの組織に関わっているときは抑えられ、組織から離れると偏屈全開、という波があるようです。

 今はフリーランスで、はたち前の1年間と同じように束縛がなく、気ままだからこそ、加齢と相まって偏屈が高じてきたようにも思えます。偏屈は「心の病気」ではないか、と心配したこともありますが、病気がもたらす苦痛や悲観はないので、今は「病気ではない。だから治す必要もない」と開き直っています。

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