桂川通信コメント
桂川通信コメント
作成日:2017/11/17
関ケ原



快晴の休日、関ケ原の古戦場に行ってきました。

岐阜県関ケ原町のキャッチコピーは「このまち、まるごと、古戦場」。有名な一帯は、新幹線や名神高速から「あの辺りか」と見当をつけるだけで、現地に入ったのは初めて。8月封切の邦画『関ケ原』は観る機会なく終わりましたが、古戦場を直に見学できて満足です。映画はいずれDVDのレンタルで観ようと考えています。

出向いたのは、西軍の石田三成が陣を敷いた「笹尾山」と、町役場隣の「関ケ原町歴史民俗資料館」。小さな笹尾山の展望台には、古戦場全体の眺望とともに、東軍、西軍の配置を教える地図も掲示してあり、地図越しの景色から合戦の様子が想像できます。

映画の影響か、見学者が割と多く、しかも三成と島左近に扮した青年が武者姿のガイド役としていろいろ説明してくれたのも一興でした。私も盆地状の関ケ原を眺め、三成に聞きました。「ずっと東の山に毛利や吉川なんかの西軍3万ほどがいたと書いてあるね。この軍勢はどないしてました?」。ガイドは「吉川が家康に内通しており、毛利勢は合戦が始まっても動かなかったようです」と即答です。

東軍に寝返った小早川の陣地、小早川勢と大谷勢が激突した一帯、島津が敵中突破したコースなども、景観を指さしながら教えてくれます。百聞は一見に如かず、です。417年前の合戦が想像の中によみがえってきます。東西合わせて20万人弱の軍勢が対決し、6時間で死者8000人とも3万人とも言われる、激しい殺し合いの修羅場。今は工場や公共施設のそばに民家も多く集まっている、普通の田舎町です。

歴史民俗資料館もそれなりに充実。古戦場の地図をもらい、そこには一帯を見学して回る「決戦コース」(3キロ、徒歩1時間)と、健脚向きの「行軍コース」(16キロ、6時間)のモデルルートも紹介されています。私は健脚(のはず)なので、いずれ古戦場のほぼ全部がたどれる「行軍コース」を歩いてみよう、と考えています。

戻った後、積ん読状態だった司馬遼太郎さんの『関ケ原』を新潮文庫版で読み始め、ようやく「上」を読了。「中」「下」はこれからですが、楽しみが増えました。

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