桂川通信コメント
桂川通信コメント
作成日:2017/10/01
山での失敗



秋10月。今年の夏は山に行けないままでした。高2の夏休み、友人と伊吹山に登って以来、梅雨明けから9月までのシーズンは毎年どこかの山に入っていますから、40数年ぶりの山歩きゼロの夏です。

という次第で、今回は悔しまぎれ(?)で懐かしの山の話を。ミエ張ったり自慢したりするのは似合わないヘタレ中高年なので、もっぱら脱力系・自虐系路線でいきます。

妙高山で滑落した話から。学生時代の前半、ワンゲルに在籍し、妙高に登ったのは山中4泊ほどの「6月合宿」でした。6人ほどのパーティーで戸隠山、高妻山、黒姫山、火打山と北上し、高谷池そばでテントをたたんで妙高に登って下山、という最終日のことです。

サイトから東に向かい、妙高の外輪を登って行くと、梅雨どきなのに火口内側には大量の残雪。パーティーの先頭にいた私は外輪のフチから足を滑らせ、ザックを背負ったまま100メートルほどの斜面を滑り落ちました。途中に岩や段差や亀裂があれば、一巻の終わりだったかもしれません。実際、滑落中「こりゃあ、死ぬな」と直感し、子供の頃からのことを瞬間的・反射的・断片的に「走馬灯のように思い出す」という、得難い体験もしています。

幸いケガはなく、火口原の底からルートに這い上がるとリーダーから「山をなめるな!」と厳しく注意された次第。合宿山行に慣れ、初めて食当(食事当番)を任され、浮かれ気分でいたことが一因だ、と思います。

同じころ、今度は1人で挑戦した谷川岳でのドジ話。夏休み、上越線の夜行に乗り、有名な土合駅の階段を上り、西黒尾根の登山口に向かいました。若かったので急な山道もぐんぐん登り、頂上までもうすぐの少し広くなった急斜面にザックを下ろして一服。天気は上々。タバコを吸い、四方の山を眺めていて、足先がふとザックに触れました。

と、ザックはごろりと反転し、そのままはるか下方に向かって転げ落ちていきます。ぼんやりとそれを見ながら、手ぶらになったことに気づいたのは数秒後。慌てて下山し、尾根南側の西黒沢を遡行してザックを探しに行きます。もちろん、見つかるはずもありません。

あきらめて土合駅に戻り、新潟に帰省中の友人に公衆電話からポケットの小銭でSOS。土合まで「救出」に来てもらった、という顛末です。友人とは谷川岳下山後、新潟・巻機山山麓にある山小屋に3泊ほどして「勉強合宿」(!)しようという、出来もしない、信じられないことを計画しており、ザックには食材のほか、図書館から借りた、読みもしない学術本数冊(爆笑)が入っていました。

ザックは今も西黒沢上流に転がっているはず(図書館には本の紛失を届け、賠償は免除されました)。なお、谷川岳は10年ほど前、昔はなかった天神のロープウエイ経由で登って雪辱を果たしています。

3つめは15年ほど前の夏、大分は九重連峰に入ったときのこと。長者原のオートキャンプ場で1泊し、翌朝、嫁はんと二男を連れて雨ケ池越を目指しました。3時間ほどで坊がつる。尾瀬ケ原より水っ気の少ない、四方を山に囲まれた広大な湿原に満足しました。

欲を出した私は午後2時ごろ、坊がつる北側の大船山への往復を企て、「夕方には車まで戻れるから」と誘いました。しかし案の定、渋々ついてきた2人はすぐにアゴを出し、山頂まで往復はしたものの、坊がつるに戻れたのがもう夕方。そこから長者原への道を急ぎ、やがて真っ暗ななか、あるはずの道を探りながら進む羽目に。時間計算の完全なミスです。

懐中電灯の電池が切れかかっている。道はこれで大丈夫か? 変な方に入り込んで遭難しないか? 「無謀ハイカー、深夜の原生林をさまよう/3人が行方不明」「『戻れる』という過信がアダ/地元山岳会は無計画登山に警鐘」「嫌がる妻子に同行を強要か?/九重・強引登山の悲劇」――。いろんな見出しが頭に浮かび始めた午後9時ごろ、ようやく灯りのついた駐車場に戻れました。

以上、いずれも別のところに書いた話ばかりで、読まされるのは2度目という方はご容赦願います。しかし、上に書いたような失敗も(他にも多数あり)今では懐かしく、今度はきちんと用意し、慎重に行動したいものだ、と意気込みだけは残っています。さて、行けるのはいつになるか。

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