桂川通信コメント
桂川通信コメント
作成日:2017/06/02
冷やし中華、解禁



ラーメン店に入ると、壁に「冷やし中華 解禁」というチラシ。注文できなかったのが、鮎釣りのようにシーズン入りして解除された、ということのようです。笑いました。思い出したのは、1970年代後半、一部で騒ぎになった「全日本冷やし中華愛好会」(全冷中)のキャンペーンです。若い世代はご存じないと思うので、ざっとおさらいを。

寒さ厳しい1975年1月、ジャズピアニストの山下洋輔さんらが中華料理店で冷やし中華を注文しました。しかし、季節外れのため「出来ない」と断られ、山下さんらは「何ゆえだ!」と憤慨。行きつけのバーに向かい、カウンターで「全冷中」結成をうたう声明を書き上げ、雑誌に載せます。「我々はシーズンオフでも、冷やし中華を食いたい。冬でも生ビールやアイスクリームは売っている。冷やし中華を食わせろ!」という宣告です。

全冷中は多数の文化人(?)らを巻き込み、売れる前のタモリ(若い頃の「4カ国語麻雀」とか「中国人のターザン」は傑作でした)、作家の筒井康隆さんらが騒ぎを広げていきます。

冷やし中華の起源は古代バビロニアにあるという「バビロニア学派」の台頭と衰退、冷やし中華の正しい食べ方を主張する一派(やがて「教条派」として批判されます)や、冷やし中華で幽体離脱を図る「神秘派」の登場など、冷やし中華を好む論客らによる論争が3年ほどの間、雑誌を中心に広がります。もちろん、ほとんど全部が冗談です。

ネットもない時代、よくもあれだけ(ごく一部ながら)盛り上がっていたものだと思います。極め付けは、77年の第1回「冷やし中華祭」。全冷中の初代会長だった山下さんが、ある理由で「失脚」し、第2代会長となった筒井さんが檀上、元号を「冷中」から「鳴門」に改めると宣言して会場は沸きに沸きます(騒ぎを知っていた私は、何かの都合で祭典に行けなかったのが心残りでした)。くどいようですが、全部が冗談です。40年経っても冷やし中華は暑い時だけの季節メニューとする店が多いままで、今でも「解禁」モノ扱いですから。

そういえば、同じころ月刊誌『本の雑誌』で日の目をみたのが、「100円式の公衆電話はお釣りを出せ!」運動です。携帯電話などどこにもなく、テレホンカードも普及する前、固定電話を持たない、または使えない折は誰もが公衆電話を使っていました。ところが、10円玉だけでなく、100円玉も使えるタイプの電話機は、お釣りが出なかった(今もあります)。セコいながらも理不尽な話で、私なども大いに共鳴できるキャンペーンでした。当時の電電公社はどう応えていたか。確か「電話機の改良がコスト的にムリ。ご勘弁を」でした。

本業の合間、中小企業診断士一次試験の受験勉強(爆笑)をこなしているため、今回もこんな不要不急の昔話で終わります。
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