桂川通信コメント
桂川通信コメント
作成日:2017/05/18
巨椋池



むかし伏見、久御山、宇治が囲む一帯に淡水をたたえていた「巨椋(おぐら)池」跡をめぐる見学会に出向きました(13日)。

巨椋池は水抜きされてすでに存在せず、干拓が終わった昭和16年以前の写真でしか情景はしのべません。それでも、いま水田や京野菜の農地が広がる跡地の北端を歩き、宇治川を眺めながら、盆地南部の歴史の奥行きが体感できる、楽しいミニツアーになりました。

旧巨椋池は周囲約16キロ、湛水面積約170ヘクタールの遊水池。瀬田川が宇治川に名を変え、盆地の東側を流れて伏見に向かい、木津川、桂川が合流して淀川になりますが、巨椋池はその流域一帯に横長の楕円状に広がって調整湖のような役割を果たしていたとのこと。

池は深い所で2メートル足らずながら、生息していた植物や鳥類、昆虫の種類の多さは目を見張るほどだった、と言います。柿本人麻呂が巨椋池をめでる歌を万葉集に残している、ということは1300年も昔からこの「大池」が親しまれていたことを示します。池の中心部は今の久御山ジャンクションあたりで、京都競馬場の馬場内に広がる噴水付きの大きな池は、巨椋池の名残だとも。

しかも、宇治川はむかし盆地に流れ込んだ後、巨椋池にすぐつながっていたのを、豊臣秀吉が大掛かりな土木工事で川と池を切り離し、槙島堤、巨椋堤などを築いて川が池の北東部を流れるようにした、という説明を聞き、歴史イベントの躍動を実感しました。

槙島も向島も、巨椋池に浮かんでいた島々の名。見学会では、伏見城の南にあった向島城の本丸跡、二の丸跡など(痕跡はほとんどなし)も歩き、最後は槙島堤があった所でお開き。万歩計で6000ほどしか歩かなかったものの、全国的にも後発だった向島ニュータウンですら造成から30年を過ぎて数々の問題が噴出している、などの指摘もあり、教わることの多い散策でした。

見学会は京都中小企業家同友会伏見支部の主催で30人ほどが参加。世話役の方々が用意された資料も多く、巨椋池に関心を持ち、ライフワークのように池の歴史と自然を調べている方が少なくないことも知りました。
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