桂川通信コメント
桂川通信コメント
作成日:2016/09/02
ギャンブル



残暑のさなかたまたま読み終えた本が、ロシアの文豪ドストエフスキーの『賭博者』(原卓也訳)。ルーレット賭博をめぐる暑苦しい1冊で、ぐったりしました。同時に、この際、ギャンブルについて「コメント」を書いてみようか、というきっかけにもなりました。

私は元々生真面目で、賭け事などという遊びとは無縁に見えるようです(どこが)。本が好きな学究肌(?)で、日ごろの言動は慎重・冷静・堅実・誠実そのもの、とも言われます(どこが)。実直に働くことにこそ価値があり、偶然にすがるギャンブルは悪徳だと決めつけるカタブツのようにも思われているようです(どk…、くどい)。実態は違います。物心ついたころから賭け事が好きで、同時に、何をやってもヘタで負けてばかり。紆余曲折を経て、今はほぼ全部で足を洗った、といえる境地に至っています。

麻雀は10代半ばから。学校をさぼり、昼間から家に友人を集めて遊んでいました(おかげで受験は一浪)。学生時代、徹マンを含め、麻雀に費やした時間はハンパではありません。レートは低く、ただのヒマつぶしでしたが、社会に出た後は、職場で、出先で、メンツさえ揃えば、数知れず卓を囲んでいます。しかも場数を踏むにつれ、ウマ、ワレメ、ドジョウ、ドボンなどのインフレ麻雀の機会が増え、元々ワキが甘いので、切れ目なく散財しています。

他の2人がベタ降りなのに、タンヤオ三色の自分の手に目がくらんで小四喜(役満)に振り込むとか、場に3枚出ているから大丈夫という、信じられないアホな字牌で国士無双(同)にぶっ込むとか、失敗談、負けゲームは数えきれません。

競馬は20歳過ぎから。下宿の先輩に連れられ、自転車で競馬場に出かけたのが入口。テンポイントが活躍していたころで、有馬記念でのトウショウボーイとの一騎打ちなど、サラブレッドが一団となって走る姿に熱中しました。血統はもとより、前走の上がり3ハロンのタイム、逃げ・先行・追い込み・差しなどの脚質、レース直前の体重の増減、騎手との相性、馬場の向き不向き、休養明けの戦績など、多数のデータを基に推理を試み、もっぱら連勝複式で楽しんでは負けていました。

当時の競馬では「単勝は勝負」「複勝は投資」「連複はギャンブル」と言われ、勝馬投票券(馬券)もこの3種類だけ。しかしやがてワイドだのボックスだの、果ては三連複、三連単だのが登場し、偶然の要素が強くなってきて徐々に足が遠のきました。とはいえ、ナリタブライアン、ディープインパクトが菊花賞に勝ってそれぞれ三冠馬になった瞬間は、京都競馬場のゴール前で目の当たりにしています。

パチンコは、ヘリコプターと呼ばれた羽根モノが多かったころまで、週1ぐらいで遊んでは負けていました。相当むかしのことで、デジタル化が進んだ今は全く足を踏み入れていません。競艇や競輪などの公営ギャンブルは、きっかけがなかったので、経験なし。他には若いころ、花札のコイコイをたしなんで負けていたぐらいです。思えば負けてばっかりでした。

むかし、ある場外馬券売り場で見た情景は忘れられません。メインレース(目黒記念だったか)が終わった後、フロアに頭を抱えて座り込んでいる中年男がいました。こざっぱりした背広姿で、頭も七三分け。じっと身じろぎもせず、払い戻しが始まってもピクともしません。20分ほどそのまま。回りにいる男どもも、見て見ぬふりです。「よっぽど負けたんだろうよ」「全財産つぎ込んだか?」「おいおい、まだ最終レースがあるぜ」――。

宮本輝さんの小説だったかエッセイには、こんな場面もありました。雀荘にひとり通い詰めているカタギのサラリーマン。うさん臭い、平気でイカサマを仕掛けてくるプロを相手に卓を囲みます。泣き笑いの顔で「さあ、今日も地獄に落ちるぞお!」と叫びながら。目をむくようなレートで、彼はカモになってむしられ続けます。それでも雀荘通いはやめない、というズブズブのお話でした。

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