桂川通信コメント
桂川通信コメント
作成日:2016/02/02
上方落語



いつもカタい話ばかり書いているので、閑話休題、今回は分かりやすい上方落語のことを取り上げます。戦後すぐのころ、衰亡の瀬戸際にあったという上方落語を復興させた「四天王」の最後の1人、3代目桂春団治さんが1月に85歳で他界された、というニュースがきっかけです。

笑福亭松鶴、桂小文枝、桂米朝に春団治。私は若い時分からこの4人の落語が好きで、今とは違い、普通にテレビを観ていたころはよく上方演芸番組を探して楽しんでいました。テレビをほとんど観なくなった後も、ラジオでよく落語会の中継を聞いていますし、脂の乗り切った40代の米朝さんが精力的に古典を復活させて録音したカセットテープの「米朝全集」は、ほぼ全部を持っていて、今でもときどき聞いて笑っています。

亡くなった3代目春団治さんの落語は、端正で、ムダなところがなく、上品でした。有名な初代春団治は、戦前の上方演芸界のスーパースター。その録音をラジオで何度か聞いたことがありますが、勢いのあるダミ声でギャグを連発する「爆笑王(初代)春団治」と、3代目春団治は対照的です。言うなら、3代目は江戸落語のようにすっきりしています。

江戸落語がすっきりしている、というのは、どちらかというとガサツで、下品過ぎても悪どさが過ぎても意に介さない、アクの強い上方落語のイメージと比べてのこと。例えば、江戸落語には「通(つう)」ぶったり、「粋(いき)」がったりするバカを笑う話が多いように見受けるものの、ホンモノの「通」や「粋」に動かしがたい値打ちをみていること自体は隠そうともしません。ところが、上方落語ではそんな、本物とまがいものを対比させる意識は元々希薄で、最初からおしまいまで悪ふざけで終始する話が少なくないように思えます。米朝さんの「どうらんの幸助」や「阿弥陀池」、テレビでみた3代目春団治さんの数少ない持ちネタのいくつかもそんな塩梅でした。ひたすら滑稽な「貧乏花見」や「らくだ」を江戸落語の噺家がやることもあるとはいえ、ああした滑稽話は大半が上方落語から移入したものだと言います。 

上方落語には、江戸落語で一ジャンルをなしているらしい「人情噺」がほとんどないことも併せ、とにかく理屈抜きで笑ってもらえたらという傾向が強いようです。正直なところ、私はお上品でカッコつけた、聞きようによってはキザなだけの江戸落語を聞いて面白いと思ったことはあまりありませんし、早い話、テレビの演芸番組『笑点』の「大喜利」で観客席が大笑いしているのが不思議でならないほどに、機知やシャレを押し出す「東の笑い」には醒めています。その意味で私は、西にこだわる「江戸落語のシロウト」にとどまります。 

上方落語には、落語家が選挙に出たり、インテリ風に振る舞うことをよしとしない気風がありそうです。肩に力が入っておらず、気楽に笑えるのが上方落語の良さ。もっとも、米朝さんが掘り起こして磨き上げたという、1時間近くの大作「地獄八景亡者戯(ぢごくばっけいもうじゃのたわむれ)」の汚さ、下品さは、いささかやり過ぎではないか、とは思いますが。

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