桂川通信コメント
桂川通信コメント
作成日:2015/06/02
限界集落



 過疎化した農村はどうなるのか――。黒野伸一さんの小説『限界集落株式会社』を読みながら、昔の見聞をつらつら思い出しました。

 サラリーマンの家に生まれた私は、はたち過ぎまで農業とは無縁。しかし、学校を出た後、農業関係の出版社団法人に職員として入会し、2年足らずの間とはいえ、千葉、山口、広島の3県で村に入り込んでの農業雑誌の販売、さらにその雑誌の編集作業などを経験しました。当時の農村のみずみずしい情景の記憶は今も鮮明です。千葉では、ブロッコリーの栽培を始めた農家に出会い、「緑色のカリフラワー。これは当たる!」と話していたのを思い出します。

 思うところあって新聞社に転じたものの、初任地の熊本時代も引き続き農業に関心を持ち、福岡と大阪の経済部でも農村に入ることを好みました。「農業コンクール」などのデスクも数年にわたって担当し、断続的ながらも長く農業・農村に関心を持ってきました。

 印象に残っているのは、やはり前職の大阪経済部編集委員として連載を担当した地域経済リポートです。2005〜07年に計23本を書き、うち10本が農林水産業による地域再生策がテーマ。手元に残るスクラップをみると、島根県西部での「桑の葉茶」▽愛媛県中部での「久万杉」▽高知県北東部での「土佐はちきん地鶏」▽和歌山県中部での「農業で人づくり」――など、テーマをたがえて西日本一帯の過疎の村に入っていることが分かります。

 さて、限界集落。過疎化によって集落人口の過半数が65歳以上となり、社会的な共同生活の維持が難しくなっている、と定義されるのが「限界集落」。90年代に高知大学の研究者が概念を提唱し、徐々に広まって流行語にもなりました。

 では、私が「地域経済リポート」で取材した、「限界集落」目前の地域おこしの現場は10年近く経ってどうなったのか。

 ネットで調べると、兵庫県・家島の「探られる島プロジェクト」(というのがありました)が終わっていた以外は、ほとんど全部が健在、いや事業はその後一段と発展しているようでした。伸びしろのある所を選んだと自慢する気はないものの、今回チェックしてみて素直にうれしく思えた次第です。

 第一次産業をテーマにした10カ所はどこも覚えていますが、大半は、(1)「数字」が分かる強力なリーダーの存在(2)誰にでも納得できる明確なビジョンの提示(3)情報発信力(4)行政とのタイアップ――という、4つあたりがポイントではないか、と思えてきます。このうち、行政とのタイアップには抵抗を覚える人が多く、『限界集落株式会社』でも、当局との対立が何度も話題になります。しかし、地域おこしを、という目的意識は曲がりなりにも共有しているのが普通で、しかも行政からは議会の承認を経て予算が出ます。

  『限界集落株式会社』で一つだけ「?」と思ったのは、過疎の村を農業法人や各種イベントで引っ張るリーダーが、米国で経営学を学んだ今風の市場経済主義者だと思われるところ。六本木あたりの1億円のマンションを売り払って農業法人の出資にあてる、という展開はファンタジーとしてはアリかもしれませんが、実際のところ、あまりリアリティがありません。というのも、田舎でも都市部でも地域おこしは大抵がドロくさく、ドロにまみれることと市場経済主義は結局のところ、相反すると思えるからです。

 

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