桂川通信コメント
桂川通信コメント
作成日:2014/11/08
三上山に登る



三上山  天気がまずまずだったので、今日も山へ。行先は、京都府南端に位置する木津川市加茂町の三上山(さんじょうさん)。標高473bと低い山の周遊ながらも、変化のある一日でした。

 奈良・生駒の自宅から車で40分ほど走ると、国道163号沿いに「史跡・恭仁(くに)京跡」があります。ここの木立の中に車をとめ、コスモス畑の中を北に向かうコースです。

 恭仁京は、奈良時代に聖武天皇が平城京から一時脱出し、740年から2〜4年間(?)、都が移された所だといいます。写真はその大極殿跡(その後、国分寺)の石碑で、奥に控えているのが三上山。

 間に見えるピンクのコスモス畑と黄色のセイタカアワダチソウの群落あたりに東西二つの内裏(天皇の住居)があったとされ、それらは発掘調査で確認されています。もっとも、細部については分かっていないことも多いようです(聖武天皇は恭仁宮の後、紫香楽宮や難波宮へと転々と居所を移し、744年には平城京に戻った、とのこと)。

 といったことを、公園になっている恭仁京跡の説明板とスマホで読んだ後、40分ほどのんびり歩くと、山の中腹にある海住山寺(かいじゅうせんじ)に行き着きます。

 アクセスのよくない、ひっそりした山寺とはいえ、ここは国宝の五重塔のほか、四天王像など6種の重要文化財を擁することで知られ、今日も多数の参拝客が境内を散策していました。海住山寺の五重塔は奈良・室生寺の五重塔(国宝)に似て小ぶりですが、その分、軽快な雰囲気があり、見ていて飽きません。この海住山寺や浄瑠璃寺のように、京都府下や滋賀には、奥まった辺鄙なエリアに国宝や重文を保有する実力派のお寺が多く、あなどれません。

 さて、山歩きは海住山寺の本坊脇の小道から。けっこう上り下りがあり、途中から「冒険の道」というよく分からない名の付いた登山道をたどって2時間ほどで頂上です。山頂には木組みの展望台。周囲を見渡すと、少しずつ紅葉が始まっている気配がうかがえ、中下旬になれば一層見栄えのいい眺望が得られそうです。

 下山は道を変え、林道沿いに森林公園へ。ここに入り込んでやや消耗しました。

 公園内を縦横にめぐる遊歩道には「せせらぎの道」「長寿の道」「森影の道」などの名前が付いているものの、案内板の地図は分かりにくく、ほとんど迷路です。つまり、どこに行けるのか、どこへ通じているのかが呑み込めない。

 公営の、あるいは公的な自然公園では「いやし」「こもれび」「ふれあい」「にぎわい」みたいな、ありふれた名づけに多く出くわします。時には「ささやきの」「憧れの」「愛の」「月光の」「大空の」「21世紀の」小道みたいな、正直いってよく分からないのもあります。私はいつもこういう工夫の「く」の字もない看板を見ては首をひねっていますが、今日の山城町森林公園も「難渋」しました(実際、大回りして恭仁京跡にたどり着きました)。

 道案内はせめてこんな具合にしてはどうか。「南北縦断で○○まで2キロの小道」とか「高低差10bの上下はあるものの、普通に歩けば東へ20分で△△の山道」とか。

 「いやし」「愛の」「未来の」「ふれあい」などという、思わせぶりで空疎な名づけは実際上、無難という以外、何の役にも立っていません。しかも、安直に選んだ手垢のニオイが漂ってくるだけでなく、役人または役人みたいな方々の事なかれの自己満足しか感じられない、というと言い過ぎでしょうか。小言幸兵衛になりかけているのでこれで抑えますが、大袈裟にいえば、ことばをもう少し丁寧に扱ってほしい、ということです。
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