桂川通信コメント
桂川通信コメント
作成日:2014/11/03
庚申山に登る



庚申山より 滋賀県南部の庚申山(こうしんさん)に登ってきました。県内の人もほとんど知らないマイナーな山で、やや気恥ずかしくもありますが、これでも今年6回目の山歩き。しかし、暗くて冷え冷えした雑木林の中を登るも、紅葉にはまだ早い、という中途半端な時節。とはいえ、いくつかの発見もあり、ノルマ稼ぎ(?)のための無理な低山歩きではなかった、と開き直っています。

 どこの山かという説明の代わりに、山頂(407b)そばの展望台から撮った左上の写真を絵解きします。まず、画面遠方(東)に見えるのが滋賀、三重県境を南北に連なる鈴鹿山脈。手前を右下に向かって白く見えるのが新名神高速です。庚申山に登ったのは、修験道の行場があり、甲賀忍者も修行したと伝わる飯道山(664b)に向かうつもりが道を間違え、その南東にあるこちらに行き先を変えた、というだけのこと。1日は読書とバイト、2日は終日、伏見の事務所にこもって事務作業と勉強を続け、体がなまってきたため、3日昼前、思い立って飯道山(結局は庚申山)をめざした、という次第です。

 中腹まで車で上がり、駐車してゆっくり歩き出せば小1時間で山頂そばにある広徳寺というお寺に到達します。割と広い境内ですが、人が住む気配はなく、あちこちに立ち入り禁止のロープが渡してあって寒々としています。

 と、その一角に藤左ヱ門という人の銅像。説明板を読むと、約400年前、麓に住んでいた藤左ヱ門が寺にこもって祈願したところ、満願の日に「銅と亜鉛の合金、真鍮(しんちゅう)」の技法を授かった、藤左ヱ門はこの真鍮の製造で財をなし、日本での「真鍮の祖」として知られている、とあります。

 もう一つの発見は、一帯のガイドマップに出ていた総社神社。庚申山から下りた後、車で10分ほど東に走った集落内のお社で、室町中期の1441年、本殿を修復した折、麦とコウジで麦酒を造って供えた、つまり日本における「ビール(麦酒)発祥の地」として知られる、とのこと。ホントでしょうか。少なくとも、私らが好きなビールは炭酸ガスが湧き出る発泡性ですから、もしかすると「麦焼酎」めいたものだったのかもしれません。

 真鍮発祥の地・広徳寺と、麦酒発祥の地・総社神社。この二つは、甲賀市観光協会などが編集・発行している、上記のガイドマップに載っています。変な発行元ともいえないので、当座、信用するとはいえ、どこか釈然としない気配は残ります。

 なお、総社神社にお詣りしたところ、秋祭りか何かか、氏子100人ほどが集まってビンゴゲームを楽しんでいました。景品には、くまもんのバッグなど。どことなく、よく分からない1日でした。

 追記
 ウィキペディアなどで調べると、まず「真鍮」は日本でも平安期の12世紀に使われていることが近年の調査で分かった、とのこと。なので、藤左ヱ門さんの発明は「?」ということになります。真鍮は仏具などで重宝された、といいますから、銅像があるのは事業化に成功したということかも知れません。また、総社神社の麦酒は、今も昔もアルコール度数1%未満の「どぶろく」または「甘酒」状のもので、呼び方も「むぎざけ」。大麦を原料にしているとはいえ、ビールとは全然異なるもの、とのことでした。
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