桂川通信コメント
桂川通信コメント
作成日:2013/11/09
田舎と街



 行政協力の一環としての「年金調査」で、きのう京都府南部のとある自治体への7回目の訪問を済ませてきました。計43軒の調査対象の9割方を訪ね、6割弱の方々から回答をいただいています。あと3回ほど通えば、調査は予定通りに終わらせそうです。

 奈良県生駒市の自宅から車で1時間強。とある大字の区域を徒歩と車で周回します。小道が集落をどうつないでいるのか、誰の家がどこにあるのか、大体のことは分かってきました。一帯を回ったうちで、お年寄りの一人暮らしは3分の1ほど、付かず離れずで連なっている家々で、人が住む気配のない廃屋は5軒のうち1軒ほどでした。

 府南部ですから、メインの産業はお茶の栽培のようです。いたるところに茶畑があり、緑豊かな農村風景が満喫できます。昼食がとれる食堂こそ近くには見当たらないものの、応対してくださる各戸の方々はほぼ全員が丁寧で親切で律儀。いやな思いをすることはほとんどありません。そんななかでつくづく思うのは、田舎の人は生まれる場所、生まれる家を自分では選べないという、当然至極のことです。

 もっとも「自分で選べない」というのは、田舎も街中も(あるいは地球上のどこであろうとも)ほとんど同じ。ただ、街中は育ったあと、一見選択肢が多いように思えるところが違います。田舎を捨て、または住めなくなって域外に出る方々が再び生まれ故郷に戻るパターンは、メディアが注目するほどに多くはない。多くないからこそメディアが報じる、と言ってもいいでしょう。Uターン、Iターン、Jターンは大勢にはなりえていないわけで、都市化の吸引力・趨勢はどこであろうと、とどめようがなくなっています。

 「創造的過疎」などという空疎な空論を語る学者さんがおり、一方で、現に家族の多くが残り、規模拡大でばりばり頑張っている農家や漁家、林業経営者が少数ながらおられることも承知。しかし、私は10年以上「地域経済論」をテーマにさまざまに調べ、リポートしてきました。年金調査で久し振りに田舎に通い、上記のようなことどもを漫然と考えざるをえなくなっています。
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