桂川通信コメント
桂川通信コメント
作成日:2013/10/10
伏見点描2−寺田屋



寺田屋 伏見の中心商店街「大手筋」そばの駐車場に車を置き、「龍馬通り」を南下して「寺田屋」まで歩きました。淀川経由の船便「三十石船」の上流側発着地に実在し、現存する旧船宿です。大手筋からは7分ほど。史跡指定を受け、木造2階建ての内部には幕末の史料や写真パネルを多数展示。一方で、宿泊できる現役の旅館としても健在です。道路を隔てた玄関前には、割と水量のある宇治川の支流(宇治川派流、幅5bほど)が淀みをつくり、両岸も整備されていて往時の様子がしのべます。

 寺田屋は江戸期、薩摩藩の定宿として繁盛し、1862年、倒幕をめざす急進派の密会を藩が急襲した「寺田屋事件」の舞台になりました。1866年には、薩長同盟を仲立ちした直後の坂本龍馬が幕吏の追っ手から逃れ、近くの材木小屋に逃げた一件でも有名です(2階には材木小屋の写真まであります)。入浴中のお龍さんが裸で急を告げ、龍馬が間一髪逃げ出したという逸話、当時の女将・お登勢さんが倒幕派を助け、慕われたという人物譚もよく知られ、館内には2人の写真も掲示されています。龍馬の姉・乙女さんの写真もあります。

 平日ながらも寺田屋を訪ねる人は多く、午後4時の閉館近くまでに15人ほどが前後して入館。私もむかし通読した司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』などで寺田屋のことは興味があり、来たのは2度目(中に入ったのは初めて)。龍馬は背丈170aを超えていたそうですが、間取りは今以上に小柄だった当時の日本人に見合った狭さで、お龍さんが入っていたという風呂桶も小さい(本物でしょうか)。ただ、建物の外観はがっちりしており、内外ともに一見の価値はある、といえます。

 幕末の京都では、新撰組が倒幕グループを襲った「池田屋」(木屋町三条)や、龍馬が惨殺された「近江屋」(河原町四条)が有名です。天満屋事件というのもありました。とはいえ、主だった事件の現場跡のうち、建物がとりあえずも残存しているのは寺田屋だけのようです。
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