《3月16日》
■門田隆将 『敗れても敗れても 東大野球部「百年」の奮戦』(中央公論新社、2018
年5月)
私は東京六大学野球には縁もゆかりもなく、弱い東大が加盟校に残っているのは老舗
リーグのハク付けのためか、と漠然と想像していました。しかし、本作で、東大教養部
の前身にあたる第一高等学校が明治期の野球草創シーズンには強かったこと、後に生ま
れた東大野球部が1925(大正14)年に既存の五大学連盟から誘われて6校目として加入
したことなどを知りました。
とはいえ、私学には甲子園組らを誘い込む推薦入学等があるのに、東大に入るには難
しい入試を突破する必要がある。実際、高校からの有力組がほぼいない東大野球部の神
宮球場での勝率は1割ほど。80連敗を経験した、つまり4年間の在籍中1勝もできなか
った、というOBも登場する第5章「連敗の苦悩」はことに読ませます。100連敗した
ら六大学リーグから脱退すべし、という声も現れる焦燥と絶望のなか、OBらは人間と
してもシブくなるようです。そんな書きぶりのノンフィクションでした。
■吉村萬壱 『みんなの墓』(徳間書店、2024年3月)
非現実的な妄想と破壊力に満ちた奇想小説『クチュクチュバーン』『ハリガネムシ』
『臣女』等が面白く、古本屋で見かけたら買うことにしている作者の2年前刊行の長編
です。
墓地と精神病院と古い公営住宅が並ぶ街に住む小学校の女子児童4人、それぞれの両
親や兄弟姉妹、ボランティア活動に熱心な主婦、20年近く引きこもっている元青年ら多
数が描き分けられて登場し、不可思議な言動を繰り返します。おしまいは墓地のそばで
爆発が起き、ほとんど気が狂ったような終わり方。一方で変態風の奇想妄想を辿る筆致
に乱れはなく、冷めたタッチで狂気と偏執を装っているようです。
■柚月裕子 『合理的にありえない 上水流(かみづる)涼子の解明』(講談社文庫、
2020年5月)
弁護士資格をはく奪されたヒロインが探偵事務所を始め、人に言えない相談ごとやも
めごと解決に乗り出す連作中編ミステリー5本。人間ドラマや犯罪の動機解明に重きを
おく硬派の長編小説が作者の得意ジャンルと思っていましたが、この連作5本はトリッ
ク重視で、軽妙な書きぶりが楽しめます。
競艇の1〜5着をレース前に当ててみせる詐欺師のトリックを見抜く「確率的にあり
えない」、将棋のセミプロ同士の対戦で一方に勝たせるトリックを扱った「戦術的にあ
りえない」、大阪での野球賭博詐欺を扱った「心理的にありえない」など、いずれも達
者なアイデアと書きぶりで読ませます。
■倉阪鬼一郎 『田舎の事件』(幻冬舎、1999年8月)
関西圏のとある農村を舞台にした計13の連作短編小説集。有栖川有栖さんが本の帯で
賞賛していたのを目にし、一読しました。
作者は速筆で非常にたくさんの創作類を出しているようですが、私のイメージは、笑
える「バカミス」の旗手(『八王子七色面妖館密室不可能殺人』とか)。この短編集も
、田舎のただなかで起きる冗談のような事件、少しずつ狂気の世界に入っていくような
お話が混ざっていて、おおむね面白く読めました。
《3月2日》
■野口孝 『なでしこ、かく学べり 1906〜1949年川越高等女学校の歩み』(青月社、
2026年2月)
筆者は長く埼玉の県立高校で日本史の教鞭をとり、『埼玉県の歴史散歩』などの編著
書もある元教諭です。その彼が赴任していた県西部の名門・川越女子高校の120年に及
ぶ歴史に興味を抱き、定年退職後の9年間、新聞スタイルの「川女歴史探報」を31号ま
で発行していたのを紙面ごと前半で再録。さらに「歴史探報」に盛り込めなかった多く
の逸話や記録、明治から終戦直後までの時代背景にも触れてまとめた後半から成ってい
ます。
前後半とも筆致はノンフィクション風ながら、当時の教育現場の様子や女子生徒の学
校生活を共感をもって描き、敗戦に至るまでの時代風潮に同調を強いられていく逸話も
フォローしていきます。収集した多数の写真などの資料、高齢に達した卒業生への聞き
取り、県外にも多く見つかった関係先の取材旅行など、編集までの準備は丁寧で幅広く
、バランスも十分に考慮され、つまり大いに読ませる力作、労作といえます。
筆者は実は私のワンゲル時代からの友人。川女に関心を持つ方々のみならず、そうで
ない側にとっても引き込まれる1冊になっています。「次のメルマガの書評で取り上げ
たい」とメールで伝えたら、「いまヒマラヤトレッキングでネパール(?)にいる。紹
介、ありがたい」との返信がありました。
■島田荘司 『新しい十五匹のネズミのフライ ジョン・H・ワトソンの冒険』(新潮
社、2015年9月)
読み残していた作者の長編ミステリーのうちの1本(四六判480頁)を読み継ぎ、ラ
ストの解決編までこぎ着けました。英国のコナンドイルが創り上げた19世紀後半のロン
ドンで活躍する名探偵シャーロックホームズと、相談相手で医師のワトソン博士を登場
させ、タイトルの「新しい十五匹のネズミのフライ」のナゾに挑みます。
「新しい十五匹」云々などという、いつも通りの意表を突くアイデアで面白く読め、
とくに不可思議な展開のストーリーを追わせる筆力は健在。常習の麻薬で錯乱状態にな
るホームズや、ヒロインを救うためにサイロをよじ登るワトソン博士など、派手な場面
も多い。そういえば、むかし楽しんだ翻訳シリーズのホームズは結構ハードボイルドな
暴れ方をしていたなあ、と思い出し、島田さんはさすがにホームズを研究されている、
と感心しました。
■柚月裕子 『チョウセンアサガオの咲く夏』(角川文庫、2024年4月)
作者がデビューした2010年代に書かれたショートショートめいた短編など11本を収め
た初期オムニバス集。毒草を扱ったホラーのような標題作、新潟のゴゼが登場する2編
、さらに高校柔道部の旧友との十数年ぶりの再会を描いた「ヒーロー」などいろいろ。
作者はやはり長編の法廷モノ、警察モノが得意という印象に変わりはない一方、デビュ
ー当時の試行錯誤が窺われ、興味深く読めます。
面白かったのは短編「黙れおそ松」。赤塚不二夫(故人)のギャグマンガ『おそ松く
ん』の六つ子が育ち、はたち過ぎのニートになって出てくるテレビアニメ『おそ松さん
』が2015年からテレビ放映された、というウワサは聞いていました。その「おそ松さん
」をベースにしたコミカルな短編「黙れおそ松」では、6人の性格や趣味が描き分けら
れています。はるかむかし『少年サンデー』に連載の「おそ松くん」の六つ子は、長男
のおそ松、五男の十四松に少し特徴があり、他の4人はほとんど同じだったような遠い
記憶とは異なる印象でした。
■ロバート・ホワイティング/阿部耕三訳 『サクラと星条旗』(早川書房、2008年2
月)
2007年〜2008年、夕刊フジで週1連載した日米野球比較のコラム集。30年ほど前に著
者が同じ夕刊フジで連載していたコラム集『菊とバット』は、日本のプロ野球に加わっ
た外国人助っ人多数を取り上げ、日米のスポーツ文化摩擦をリポートして面白く読めま
した。
長い年月を経た続編ともいえる本書は逆に松坂大輔、松井秀喜、松井稼頭央、イチロ
ー、井川慶、伊良部秀樹ら日本からメジャーリーグに挑戦した面々が米国でどう受け入
れられ、評価されたかをユーモアあふれる筆致でリポートしています。色分けすれば、
コラム連載中の松坂と松井秀はメジャーのファンからの評価が高く親しまれ、一方で井
川、伊良部は評価が低く、この辺りの尺度は日米の野球ファンの傾向と同じようにも思
えます。イチローもこの頃はどこかスカしたイメージがあったようです。
《2月17日》
■川北稔 『イギリス近代史講義』(講談社現代新書、2010年10月)
たまには硬派本を、ということで「積ん読」から引き出して一読。産業革命前、16世
紀以降の英国近世史、近代史を分かりやすく解説しており、勉強になりました。
本格的な工業生産を始めた産業革命の先頭に位置し、やがて大英帝国にまで膨張しな
がら、世界大戦後「英国病」に陥っていくまでの流れを自在な語りでエッセイ風に追い
ます。タテ軸重視の通史というより、家族制度や社会の変化などのヨコ軸を忘れず、既
存の史観にとらわれず、横断的に歴史を俯瞰していく筆致が新鮮です。
例えば、木綿産業を英国がリードしたのは、植民地との交易や紡績機器の改良という
より、業界側が英王室に木綿を使うよう仕向けて市中に流行らせ、かつ洗濯できるとい
う強みに庶民の人気が集まったからだ、という需要サイドの事情を示しているところ。
あるいは、著者自身、戦中疎開した奈良県北部の村での体験を元に「私にとって村祭り
は、田舎の共同体の排外的な雰囲気の象徴。あれはもはや日本に田舎がなくなり、それ
を知らない都会人たちが勝手にめぐらせた妄想ではないか」と言い放ったりします。
■柚月裕子 『臨床真理』(角川文庫、2019年9月)
最近ハマっている柚月さんのデビュー作です(第7回「このミステリーがすごい大賞
」受賞、初版は2010年3月)。ヒロインは総合病院精神科で患者をケアする臨床心理士
。向き合う青年はヒトの言葉の真偽が色で分かる「共感覚」という、超能力めいた力を
持っており、メインとなる殺人事件解決のカギは青年が握るため、ヒロインは諦めず彼
に向き合っていきます。
ミステリーとしての仕掛けは3分の2を過ぎたあたりから見え始め、大きなどんでん
返しもないなか、ストーリーは加速します。自閉症気味の青年や、真犯人と対決するヒ
ロインの行動の描写は激しく、過剰にも思えるほど。デビュー作に作家の強みや志向は
内包されているといいますが、確かに真犯人のあぶり出し、登場人物のリアリティのあ
る描写などはうまいものだ、と感心しました。
■今村祥吾 『火喰鳥 羽州ぼろ鳶組』(祥伝社文庫、2017年3月)
こちらも去年あたりからハマっている今村さんの作家デビュー作(第7回歴史時代作
家クラブ賞受賞)。火事の多い江戸には「いろは」などで知られる「町火消」のほか、
大名や旗本が抱える「武家火消」などがあったということです。目下すでに刊行10冊を
超えたこのシリーズは、出羽・新庄藩が抱える武家火消の頭領・松永源吾を中心にした
シリーズ時代小説のようです。
作家デビューのときから話の作りがうまく、登場人物に情感を込め、描写も安定して
います。羽州武家火消の頭領にスカウトされた源吾が、元力士、軽業師、天文学者など
を仲間に誘い込んでいきます。身なりが貧弱なので「ぼろ鳶」と笑われながら、建物で
はなく、人を救うという一点に集中した活躍で次第に人気を集め、おしまい近くでは連
続放火犯の「狐」と対決します。続編以降の楽しみができました。
《2月1日》
■清武英利 『後列のひと 無名人の戦後史』(文芸春秋、2021年7月)
戦中戦後から平成までの時代を闊達に生きた無名の18人をリポートしたノンフィクシ
ョン集です。以前読んだ同じ作者の実録風長編『しんがり 山一証券最後の12人』が面
白く、こちらも勇んで手に取り、期待どおりに楽しめました。
特攻隊基地の一つだった万世飛行場(鹿児島県加世田市)そばの旅館経営者、ロケッ
ト博士・糸川英夫さんを支えた飲み屋の女将、トヨタ自動車技能学校1期生のその後、
敗戦後ベトナムに残留しベトミンに軍事訓練をほどこした元兵士、大豆の先物取引で数
十億を稼ぎながらすぐに無一文になっても懲りない相場師など、興味深い連作人物ルポ
になっています。
後半は主に20世紀末期のバブル崩壊の後始末、とくに住専の不良債権処理から生まれ
た「整理回収機構」内の人々をリレー式に紹介しています。当時の機構と債務者側の重
苦しい交渉の一端を、情理兼ね備えた筆致で再現していて感心しました。
■横田順彌 『五無斎先生探偵帳 明治快人伝』(インターメディア出版、2000年12月
)
『宇宙ゴミ大戦争』などのユーモアSFをむかし楽しんだ作家(故人)の1冊で、古
本屋で見つけました。「五無斎」は明治期に生きた実在の鉱物学者、教育者の保科百助
(1868年〜1911年)が名乗った号で、当時の大手新聞で「当代随一の奇人」と評された
人物とのこと。
麦わら帽の下にひげ面をさらし、赤い毛布をコートのようにまとい、大酒呑みで、と
ころ構わず毒舌演説を繰り返す、というハタ迷惑な御仁。一方で、山野で自ら採集した
鉱物標本を宮中に献納したり、出身の長野県の複数の学校長を務めたり、筆墨の行商で
得た資金で当時としては規模の大きい信濃図書館(現長野県立図書館)を創設したり。
短編5つからなる本作は破天荒で天衣無縫の五無斎が、明治創刊の英字紙ジャパンタ
イムズの記者らと、東京で起きる事件の真相を当てたり、外したりします。山田風太郎
さんの明治モノほどの伝奇色はなく、筆致はあっさりしているものの、いずれも軽く面
白く読めます。
■今村翔吾 『じんかん』(講談社、2020年5月)
16世紀半ばにのし上がり、織田信長に謀反して自滅した松永弾正久秀の生涯を描いた
長編歴史小説です。山田風太郎賞受賞。単行本で500頁を超えますが、面白く読めまし
た。
久秀には斉藤道三、宇喜多直家らと並んで戦国時代の梟雄(きょうゆう)、つまり悪
辣非道、狡猾かつ残虐で、煮ても焼いても食えない悪人というイメージが付きまといま
す。ところが、近年の史料研究等で人物像が変わってきたようで、作者も従来の久秀像
を一新する熱意をもって物語を進めます。
主筋(三好一族)に対する連続謀殺説は敵対勢力が広めたウソ話、将軍(足利義輝)
殺しには関わっていない、東大寺大仏殿の焼損は大仏殿そばに構えた敵陣内の失火によ
るなど、世に伝わる久秀の「三悪」を否定する語りを続けます。そのうえで、城を構え
た大和に住まう民草を大事にした、有能で人間味のある武将だった、という相貌を強調
します。
面白かったのは、塚原卜伝の教えを受けた、天下無双の「剣豪将軍」だったと伝わる
足利義輝を、保身のために右往左往する愚物として描いていること。『剣豪将軍義輝』
を書いた宮本昌孝さんが怒りそうです。絶品の茶釜(平蜘蛛)もろとも火薬で爆死した
という、久秀最期の地となった信貴山は、私が住む南生駒からもよく見え、あの戦国武
将はあそこで終わったのか、と感興を覚えます。
■柚月裕子 『検事の信義』(角川文庫、2021年12月)
佐方貞人検事の活躍を伝える連作中編小説のシリーズ3作目。「裁きを望む」「恨み
を刻む」「正義を質す」「信義を守る」の4編で、腕時計の窃盗事件、介護していた老
母の変死など、派手さや不可解さはないものの、事件の裏側に潜む人間ドラマを追う、
犯罪の動機解明を重視する、というスタンスに変わりはないようです。いずれも面白く
読めます。
佐方検事は公判部ながら、送検資料を読んで不審点を見つけ、自ら再捜査のためにし
きりに現場に赴くという、警察や刑事部の検事の神経を逆撫でするような行動が目立ち
、「こんな公判検事、いるのか」と思わせられます。佐方検事はのちヤメ検の弁護士に
転身するようですが、地検内部での尖った、孤立を招きかねない言動に理由があるよう
にも思えてきます。
《1月16日》
■荒木あかね 『此の世の果ての殺人』(講談社、2022年8月)
前回紹介した知念実希人さんの『神のダイスを見上げて』と同様、この長編ミステリ
ーも、迫り来る小惑星テロスが2カ月後、地球に衝突する、というSF的な設定で幕開
けします。
人類滅亡を前にした社会の描かれ方は『神のダイスを見上げて』とは少し異なるもの
の、あちこちに逃げたり、自殺したりする多数派とは別に、舞台となる福岡県内に残る
少数の群像の描写は興味深く、リアルなように思えます。その中で自動車教習所に通う
若い女性と、教習所の女性講師(元警察官)が殺人事件の真犯人探しに奔走し、統廃合
される警察署を尻目に、人影が減った博多の街を動き回ります。トリックやアリバイ崩
しというより、オーソドックスな推理小説という雰囲気で、十分に楽しめました。満場
一致で江戸川乱歩賞を受賞したこともうなずけそうです。
■堤未果 『デジタル・ファシズム 日本の資産と主権が消える』(NHK出版新書、
2021年8月)
5年近く前の刊行で、よく売れたようです。デジタル自治体の危険、デジタルマネー
戦争、カード決済のもろさ、オンライン教育の功罪など、21世紀に入って加速する官民
のデジタル化の行き過ぎ、過熱についてリポートした興味深い一冊です。
筆致は冷静で客観的ながら、デジタル化の負の側面に厳しい視線を向けています。米
国のGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)の収益のための自動
運動に近い攻勢や、デジタル化で先行する中国や韓国、および米国、さらに日本のデジ
タル化主導の面々のリポートには著者の義憤すら窺えます。例えば、教育用のタブレッ
ト端末を与えられた小学生が「知らないことは何でもタブレットで検索する。タブレッ
トがないと、自分で考えたり、覚えたりしなくちゃならない」云々と話しているくだり
には、私も呆れました。
■柚月裕子 『孤狼の血』(角川文庫、2017年8月)
日本推理作家協会賞を受賞した長編です。作者は山形県在住ながら、暴力団抗争と警
察の動きをテーマにした本作の舞台は広島。新米刑事が、アクの強いマル暴担当のベテ
ラン刑事に従い、広島と呉原(呉)を舞台にした暴力団抗争の渦中に飛び込んでいきま
す。
広島や呉の情景だけでなく、暴力団と刑事たちとの会話や動きの描写がビビッドなの
は、東映の『仁義なき戦い』シリーズ全8本のDVDを飽かずに観賞した経験がベース
にある、とのこと。当然、現地での取材も重ねているようで、密度の濃い、迫力のある
一作になっています。後半の意表をつく展開もあって、引き込まれました。作者のもの
では「佐方貞人検事」シリーズを面白く読み進めていますが、この広島モノも続編に手
を出してみようか、と考えています。
■柚月裕子 『最後の証人』(角川文庫、2018年6月)
『検事の本懐』の主人公だった「佐方貞人」がヤメ検の弁護士になり、公判での弁護
を依頼されて取り組んだ法廷モノの長編ミステリー、というかサスペンス小説のようで
す。
男女の痴情のもつれからの殺人事件とみられた刑事裁判が、事件7年前の交通事故と
リンクし、様相を変えていきます。地検と弁護側の対決を通じての公判のやり取りが興
味深く、うまいものだと思いました。とくに殺人事件の加害者は誰だったのかというナ
ゾかけや、交通事故に関わる証人がおしまいに出てきてダメ押しする、などの展開は込
み入っていながらも、腑に落ちる着地になっています。
《2026年1月5日》
■笹本稜平 『K2 復活のソロ』(祥伝社、2019年6月)
シリーズ1作目でヒマラヤ・ローツェ(8516メートル=世界4位)南壁の冬季単独登
攀を成し遂げたクライマー(奈良原和志)が、2作目ではカラコルムのK2(8611メー
トル=同2位)に挑みます。
作者の山岳冒険小説ヒマラヤシリーズ3部作の続編で、3作目でマカルー(8463メー
トル=同5位)西壁に挑むことが分かっているので、K2も主人公が登攀に成功するこ
とは織り込み済み。登攀場面の描写はまるでドローンの映像越しに立ち会っているかの
ようにスリリングながら、「転落して死んだりしない」ことも分かっていて、緊迫感は
あるようでないような。それでも若きパートナーの事故死や山道具の改良などの逸話を
交え、ストーリーは快調に進みます。なお、主人公を支援する山道具製作・販売のベン
チャー「ノースリッジ」はモンベル、社長はその創業者・辰野勇さんがモデルのような
気がして、その辺も面白く読めます。
■大森久雄 『本のある山旅』(山と渓谷社、1996年11月)
古本屋で見つけた古い1冊で、面白く読めました。著者は登山や自然にかかわる書籍
をまとめてきた、半ばフリーの編集者。本書は編集者生活のかたわら、自ら足を運んだ
山々と山に関する多数の本をめぐる、興味深く丁寧なエッセイ29編を収めています。
ただし、取り上げているのは東日本および欧州の山だけで、北アルプス・笠ヶ岳以西
の山々はノータッチ。北海道・利尻山に登った後、関西から来た登山ツアーの中年女性
客が、同宿の食堂で「利尻は『日本百名山』の一番なの。他の百名山とは違うの!」と
騒いでいるのを聞き、著者は「百名山は北から順に名山を並べただけで、利尻が冒頭に
あるから『一番だ』という声が上がるのは、深田久弥さんの想像を絶することでは」と
皮肉っています。
一方、西日本人の私はその辺りを読みながら「関西のおばさんはシャレで『利尻が一
番』とはしゃいでいるだけで、本気でナンバーワンだと思っているはずもない。著者は
シャレの分からない生真面目かつ狭量な東日本人なので、イラついたのだろう」と感じ
ました。
■塚本青史 『呂布 猛将伝』(徳間書店、2010年10月)
むかし北方謙三さんの『三国志』(全13巻)を通読したとき、最初の方に出てきて印
象的だったのが武人、呂布(りょふ)。名馬赤兎に乗り、黒ずくめの数千人の騎馬軍団
を率い、無類の強さを誇った豪快な武人にして、家族思いの一面も持つその生涯を、も
っぱら中国実在の英雄を描く作者ならではの解釈をほどこしてまとめた長編小説のよう
です。
本書は呂布の生涯を『北方三国志』などと同様、正史『三国志』をベースにして再現
したようです。とはいえ、実際のところ、『北方三国志』の呂布の風貌とはかなり異な
ります。どちらがどうとは言い難いものの、私はやはり『北方三国志』の呂布の方が印
象が鮮烈だったように思えてきました。
■島田荘司 『アルカトラズ幻想』(文芸春秋、2012年10月)
米国ワシントンそばのジョージタウン大学構内で連続して見つかった猟奇殺人風の女
の遺体2つ。次いで、この大学OBの青年バーナードによる「絶滅した大昔の恐竜群に
関する重力をめぐる考察」論文を事件捜査の警察官が読む、さらに論文をきっかけにサ
ンフランシスコの沖合に実在する刑務所の島アルカトラズにバーナードが収容され、や
がて彼は囚人に誘われて脱獄を試みるーー。
といった風のナゾめいた場面とエピソードが連続し、それらを最終章に至って強引か
つアクロバティックな推理で解明していく、という近年の島田さん特有の荒唐無稽とも
いえる長編ミステリーです。読み手を引き込むいつもの筆力に感心し、実際「そんなア
ホな」と思いつつも楽しめたのは確か。未読の作者の長編は3本ほどありますが、それ
以外は全部片づけているはずなので、本書のような奇妙奇天烈なストーリーには慣れて
います。ただ、ヒトさまには勧めにくくもあります。
■知念実希人 『神のダイスを見上げて』(光文社、2017年9月)
この内科医兼ミステリー作家の長編の通読ももう10冊ほど。ただ、本作は異色という
か、特異というか、無理の多いストーリーで、正直なところがっかり。巨大隕石(ダイ
ス)が地球めがけて接近し、あと5日で衝突かと世界中がおののいているさなか、東京
・立川市で女子大生殺害事件が起き、被害者の弟が犯人捜しで動き回ります。
しかし話が進むにつれ、地球滅亡を前に生まれたカルト集団、暴発する群衆心理、さ
らに背後に潜む近親相姦などを詰め込み、作者らしいナゾ解き二転三転の仕掛けにつら
れて読み進めるも、展開は不自然です。巨大隕石は地球に近づき、はっきり目に見える
までに迫ったところで幕。それはいいとしても、作者の他の長編でもあった「真犯人」
絞り込みのクセをも気づかせる、いささか窮屈な1冊でした。
《12月16日》
■南木佳士(なぎ・けいし) 『小屋を燃やす』(文芸春秋、2018年3月)
内科医として信州の病院に勤め、うつ病に陥ったこともあるという兼業芥川賞作家(
1989年『ダイヤモンドダスト』で受賞)による、不思議な気配の連作短編小説が4編。
千曲川に近い自宅そばに住む甲、乙、丙、丁と呼ぶ男4人とともに、里山の空き地に
廃材を使った小屋を造り(「小屋を造る」)、数年後、故あって小屋を解体して燃やし
ながら雪のなかで焼酎を呑んだりします(「小屋を燃やす」)。作者を併せた5人は山
歩きしたり、川釣りに出掛けたり、建てた小屋に集まっては延々と酒盛りしたりする、
中高年悪ガキ仲間のようです。
表題作では飄々と、かつ寂しげながらも、気楽な雰囲気で仲良く小屋を壊していきま
す。しかし、よく読むと、小屋を造ったあと死んだはずの甲さん、乙さんが「久しぶり
に来てくれ」て、他の3人と鍋をつつき、焼酎を呑むシーンが幻想的です。健康法には
、スクワット等よりも相撲由来の四股がいい、と勧める「四股を踏む」も楽しく読めま
した。
■清水義範 『上野介の忠臣蔵』(文芸春秋、1999年2月)
赤穂浪士の仇敵として襲撃され、首をとられた吉良上野介の側から事件の推移をたど
った長編歴史小説。『国語入試問題必勝法』などで知られるユーモア作家ながら、本作
は史料(鈴木悦道『新版吉良上野介』中日新聞社刊)に拠った真面目なトーンでまとめ
られ、なるほどと思わされる箇所も少なくはなかったと思います。
「忠臣蔵」の書き手の多くは、上野介は異様にプライドが高く、赤穂の浅野内匠頭を
見下し、朝廷からの使者の接待でミスった、あるいはミスりそうだった内匠頭に「松の
廊下」で切り付けられたワイロ好きの悪徳老人、という扱いが目立つようです。さらに
刃傷の直後、将軍綱吉の裁定で内匠頭は切腹、上野介はお構いなしとなった不公平が浪
士たちの決起につながった、という見立てが普通。本作はそれを裏から見るというスタ
ンスで、上野介や吉良側についた米沢上杉家に感情移入しながらも、浪士たちを難ずる
気配はなく、バランスが保たれ、興味深く読めます。
映画などでは吉良家のニヒルな用心棒みたいな剣客・清水一学が本作のもう一人の主
人公扱いで、三河・吉良庄の百姓の身分から取りたてられた質実剛健、純朴な青年とし
て、上野介を守る役どころになっているのも新鮮でした。
■笹本稜平 『ソロ』(祥伝社、2017年8月)
ヒマラヤを舞台に、若きクライマー(奈良原和志)が8000メートルを超える山々に挑
み続ける山岳冒険小説3部作の第一作。エベレスト(8848メートル)の南東にある標高
世界4位のローツェ(8516メートル)南壁の冬季単独無酸素登攀を目指し、多くの理解
者と一部の敵対者が交錯するなか、果敢に「人間がいるべき場所ではない」8000メート
ル超の岩壁や稜線に向かっていきます。
ソロの初登攀につきまとうのは、高所での厳しい状況下、登頂を証明する写真などの
証拠が求められること。本作では、実際にローツェ南壁をソロで登りながら(1990年)
、証明が足りないとして疑われたスロベニアの実在のクライマー(トモ・チェセン)を
登場させ、主人公がトモに会ってその偉業の詳細を聞く、という場面があります。主人
公は架空のようですが、トモとの会話や前哨戦を含めた数度の登攀の描写はビビットで
真に迫っており、興奮しました。面白い3部作のようで、次の『K2 復活のソロ』も
楽しみです。
《12月1日》
■今村翔吾 『八本目の槍』(新潮社、2019年7月)
羽柴秀吉と柴田勝家が対峙した琵琶湖北岸での「賤ヶ岳合戦」(1583年4月)で、秀
吉の小姓らが先陣争いして柴田勢を破り、特に功のあった面々を「七本槍」と呼びます。
加藤清正、福島正則、加藤嘉明、脇坂甚内、片桐且元らで、後の豊臣家の重鎮としても
名を残しています。この連作中編7本は、彼らの来し方行く末をそれぞれの目を通して
物語るという趣向。そして「八本目の槍」とは、連作の影の主役としてずっと登場を続
ける石田三成(佐吉)ということになります。
三成は頭脳明晰で吏僚としての能力は抜群だった半面、合戦の戦略や戦術では無能か
つ不器用ながらも自信過剰気味で、自ら事実上の大将として西軍を率いた「関ヶ原合戦
」(1600年10月)では、戦局判断を次々に誤り、小早川秀秋らの寝返りもあって敗走
した、との見方が一般的です。しかし、本作はそうした通説をとらず、七本槍の大半が
三 成と親しく交歓し、知力だけでなく、武人としても心意気の高かった三成に心服し、
しかしやむなく「関ヶ原」では東西に分かれたことを悔やんだりします。その作者なら
ではのユニークな角度からの語りが面白く、感心しました。特に豪快かつ単純、しかも
酒 乱だったと伝わる福島正則の描かれ方は秀逸でした。
■伊坂幸太郎 『ゴールデンスランバー』(新潮社、2007年11月)
山本周五郎賞と本屋大賞受賞の長編。作者在住の仙台を舞台にしたノンストップ・
エ ンタメとでもいうか、よく出来た娯楽小説です。自由奔放な言葉の噴出と奇想天外な
ストーリー、なさそうでありそうな人物造形に感心した『重力ピエロ』以来となります
が 、本作もよく練られた、楽しい展開でした。
市内中心部でパレード中の首相がラジコンヘリ(ドローン?)搭載の爆弾の直撃を
受けて即死し、犯人と名指しされた無実の主人公・青柳雅春が市内を逃げ回る、という
サスペンス風のプロットの連続。次はどうなるかという先が読めず、しかし読み終える
とうまく構成の全体がつながる、といった体裁です。捕り物劇の舞台設定はともあれ、
ほとんど全部が作り話で、いわば現代風ファンタジーかハードボイルドといったところ。
社会派めいた隠された創作の狙いも窺えず、純粋に読者に楽しんでもらうことに専念し
ているようにみえます。
■井上由美子 『ハラスメントゲーム』(河出書房新社、2018年10月)
テレビドラマの脚本家として知られた作者が挑んだ、初めての長編小説とのこと。
私は近年ほとんどテレビを観ていないので、作者の代表作と言われる『ひまわり』『きら
きらひかる』『マチベン』『緊急取調室』等のどれも知らないままで本作を手に取り、先
入観なしで、面白く読み通せました。
主人公は大手量販店チェーンの新任コンプライアンス室長。社内で見え隠れするハラ
スメントの摘発と処分をもっぱらの職務とし、そこに社長からの密命や部下の裏切りに
よる左遷経験なども絡めて、テレビドラマ風にテンポよく逸話がつながっていきます。
全5章はハラスメントのタイプを変えた連作中編ながら、最後に全体の仕掛けが明かさ
れ、すっきりと明るく幕引き。うまいものです。