桂川通信コメント
桂川通信コメント
作成日:2024/09/21
避難小屋に転がり込む



 昨年に続き、秋の「東北関東信州縦断山歩き旅」に向かうため、名古屋港から太平洋フェリー
で仙台港に到達したのが8日夕。岩手県奥州市水沢のビジネスで1泊し、近くの焼石岳に入ろう
とした、しょっぱなの9日朝、道を間違えました。  駐車した登山口には、山頂をめざす「銀明水」経由の一般向け西コースと、北に向かって「金
明水」経由で山頂まで大回りする健脚向けコースそれぞれの入り口があります。ここで私は何を
見誤ったか、西ではなく、北に向かう道に入り込んでしまいました。  靴をぬいで裸足で沢床を歩くなど、繰り返し沢を渡っておかしいと思ううち「金明水→」とい
う小さな道標に出合いました。間違いが分かりましたが、かなり上まで登っており、来た道を下
って西コースに戻るより、このままぐるりと山頂に向かうこととし、金明水避難小屋に到達した
のが16時ごろ。焼石連峰は大きく、やがて日が沈み、月明かりの下、東焼石岳山頂(標高1507
メートル)から車を置いた登山口に下りよう、と岩の多い山道を手探り足探りで辿りました。  途中、銀明水避難小屋があるはずながら暗いので気づかず、ダブルストックとヘッドランプ(
リチウム電池式)で足元を照らしながらの下山。「今夜中に車に戻れば、予約を入れた次の釜石
のビジホへは1時間。ゆっくり風呂に入ろう」と夢想する半面、足元覚束ないまま計4回も転び、
顔や脚ほかにケガを負いました。  結局、深夜零時、これ以上進むと危ない、と道端でザックを枕にビバークです。道中誰にも出
会わず、歩行はこの日15時間。寒くはなく、雨は降らず、沢筋で補充した水はあり、食べ物も多
少はザックに、ということで、明るくなる翌朝5時までうつらうつらしました(出没しているら
しいクマのことは想像外に追い出し、襲われたら死んだフリしてそれまで、と開き直りました)。  しかし、ここで2つめの失敗。前夜分岐にあったはずの「登山口→」の下りの道標に気づかず、
反対に登ってしまったのです。徐々に高度を上げていくのを不審に思いつつ、後ろから来た計4
人に訊ねて「下りるのは逆ですよ」と次々に教えられ、反転して銀明水避難小屋そばに辿りつい
たのは16時ごろ。  休みながらも10時間は歩き、両脚はヘロヘロガタガタ。座り込んでいると、朝方会った秋田の
男性と再会。男性は登山のベテランのようで(後で「山岳ガイド」を務めておられると伺いまし
た)、噴射式の痛み止めを両脚にかけ、サポーター2つをヒザに装着。「一緒に下山したいが、
その様子では通常2時間の倍以上かかって危ない。そこの避難小屋で一泊されては?」と勧めら
れ、ここでようやく無人の小屋に転がり込みました。  避難小屋1階で眠り込んでいた23時ごろ、先の男性の通報を受けて動いた地元消防本部の方々
6人が小屋に到達し、やっと「大丈夫ですか?」と救助されました。全く情けない話です。3日
目の翌朝、消防本部に地元警察署地域課も加わった10数人に順におんぶされるなどして下山し、
歩けない身を水沢の病院まで搬送される、という顛末。  病院の検査で、両脚の筋肉が破壊される「横紋筋融解症」に陥ったと診断され、放置すると腎
不全に陥るリスクがある、とのことで入院が決まり、9日間点滴治療で病床にいました。少しは
歩けるようになった19日、女房と長男が迎えに来て車ともども関西にUターン。  九死に一生を得た思いで、改めて救出してくださった方々への感謝の思いと、社会人としてな
すべき公私の行動を完遂しようとの決意を抱きました。自業自得の反省は忘れませんが、グズグ
ズクヨクヨザワザワの後悔は脇におき、また改めてより慎重により安全な山歩きに出掛けよう、
と思い至った次第です。
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