作成日:2024/07/03
ただ狂へ
詩人の大岡信さん(故人)が1979年から30年近く、朝日朝刊1面に連載した短詩型詞
華集『折々のうた』は、ユニークで楽しい企画でした。
短歌、俳句を中心に古今の作品から選ばれ、寸評を加えて紹介したのは6762編。岩波
新書での再編集シリーズなどの後、連載の途中ではあったものの、岩波書店が2002年、
箱入りの『折々のうた 三百六十五』を公刊しました。
梅雨のうっとおしさを忘れるべく、偶々持っていたこの「『折々のうた』の編者厳選
365編」を改めて通読。1年365日のページごとに1編ずつが並び、こちらは目にとまっ
て何度も黙読したのを以下、順不同で。
まずは、室町中期の歌謡集『閑吟集』のなかの有名な1編。
「なにせうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ」
今風に言えばこんな具合。「なんや まじめくさって 人の一生など夢よ 狂え狂え
」。刹那的とか、衝動的とか、虚無的な享楽主義とか、色んな評がありますが、私はこ
の1編が昔から好きです。大岡さんは「ただ狂へ」について「我を忘れて何かに没頭す
ること、その不思議なエネルギーの発散」と解釈し、この辺り同感です。
『折々のうた 三百六十五』では、個人的には戦争モノ3編が忘れがたく、今も諳ん
じられます。まずは、昭和14年に渡辺白泉が詠んだ一句。ホラータッチ、ブラックユー
モア風ながら、どこか諧謔の気分が窺えます。
「戦争が廊下の奥に立つてゐた」
次は鈴木六林男の無季俳句。昭和24年の句集にあるという、恐らくは凶悪ながらも逃
れようがなかった時代を振り返った創作。いつも読むたびに敗色濃厚な戦場あるいは
野戦病床で死にゆく青年が思い浮かび、胸を衝かれます。なお「阿部一族」は、滅亡を
強いられた悲運の武家で、森鴎外がその理不尽を短編歴史小説に仕立て、戦前から文庫
に入っていたようです。
「遺品あり岩波文庫『阿部一族』」
3つ目は前衛短歌で戦後、斯界にて縦横に活躍し、ブイブイ言わせまくった塚本邦雄
の1首。鮮やかで、凄みがあります。
「突風に 生卵割れ、かつてかく撃ち抜かれたる 兵士の眼」
最後は、上杉謙信の七言絶句。能登の七尾城を攻略したとき、十三夜の月に興を発し
、陣中で詠じたという起承二句とのこと。大岡さんは「詩句は清涼、往時の武人の心ば
えを示す」と評しています。
「霜は軍営に満ちて 秋気清し 数行の過雁 月 三更」