作成日:2024/06/03
ジョンとポールの和解
封切された映画『ジョン・レノン 失われた週末』(イブ・ブランドスタ
イン他監督、2022年制作)をシネコンで観ました。上映は日に1回、しかも
その日席に着いたのは、私を含む年配の男4人だけ(座席数122)でガラガ
ラ。公開も2週間ほどで終わり、ヒットしているとは言い難い気配でした(各
地で順に公開され、今も上映している映画館はあるようです)。 1970年4月のビートルズ解散後、メンバー4人はソロ活動を本格化させま
す。前衛芸術家オノヨーコと結婚していたジョンレノンは73年10月、米国ロ
サンゼルスに単身引っ越してヨーコと別居。2人の個人秘書だった中国系アメ
リカ人のメイ・パンが「ヨーコの指示」を受けてロスでジョンとほとんど同棲
し、1年半を超えたレノン夫妻の別離(「失われた週末」)の実相を、老いた
メイ・パンが多数の写真、映像を示しながら語る、という趣向の長編ドキュメ
ンタリーです。 叔父の影響で小さい頃から洋楽を聴き始めた私は、ラジオから聞こえてきた
「抱きしめたい」(64年10月)にびっくりしたのがビートルズとの出会い。
日本のロカビリーはおろか、エルビスプレスリーやクリフリチャードに比べて
も「段違いの迫力」に圧倒されました。叔父が見せる「プリーズプリーズミ
ー」のEP盤ジャケットに「演奏とコーラス:ビートルズ」なんて書かれて
いた時代です。 高校生になった私は、千里の大阪万博、三島由紀夫の自決と同じ年にビート
ルズが解散した後は、主にジョンとポールマカートニーのソロ活動をフォロー
しました。当時の同世代の男女全部が、とは言わずとも、3分の1ほどがビー
トルズとその後の動向に大なり小なり興味を持っていたように思います。 70年8月日本公開の映画『レットイットビー』は、解散前の4人のリハー
サルや録音風景を延々とフィルムに収めたうえで編集した音楽ドキュメント。
字幕でしか会話が分からない高校生が観ても、4人の言動からは白々しく、ぎ
くしゃくした気配ばかりが目立つ、興ざめの記録映画でした。 ポール1人が曲作りに没頭し、他の3人は遊んでいるようにしか見えない展
開の半面、後で知ったのはポールがジョージやリンゴに「ギターはこう弾くん
だ」「ドラムはこう叩くんだ」と説教していたこと。一方、ヨーコがジョンと
一緒にスタジオに入り込んで4人にあれこれ口出しし、解散劇の元凶は東洋か
ら来たヨーコだった、という当時の大方の見方を裏付ける雰囲気も窺えまし
た。 解散後のポールは71年発表のアルバム『ラム』で「地下に潜る人間が多過ぎ
る」(「ツウメニイピープル」)とジョンを批判し、ジョンはアルバム『イマ
ジン』で「お前が作ったのはイエスタデイだけだ」(「ハウドゥユースリープ
」)とポールを嘲笑するなど、やり合います。大っぴらに険悪だったわけです。
とはいえ、ジョンとポールは数年後に再会・和解していた、という情報は、
今回の書評で取り上げた『誰がジョン・レノンを殺したか?』などで知っては
いました。前置きが長くなりましたが、冒頭の映画『失われた週末』がその2
人の再会の模様を写真付きで紹介していた次第です。 74年9月、ロサンゼルスのスタジオにいたジョンを、ポールと妻リンダが
突然訪れます。映画内のメイ・パンの回想では、ポールが「ジョン、私の所に
戻っておいで」というヨーコの伝言を携えて、ということです(本当か?)。
スタジオにはスティービーワンダーらもいて、和気あいあいと思い思いの楽器
でジャムセッションを楽しんだ、とのこと。その折の写真が多数出てくるので
す。 最近は『失われた週末』だけでなく、69年1月、ロンドンでの「ルーフトッ
プ・コンサート」を再編集したドキュメント映画が、ディズニー系のルートで
配給されているようです。当時はアップル本社ビルの「屋上ライブ」だったの
が、今は気取って「ルーフトップ・コンサート」と言い換えているようです。
「何がルーフトップ・コンサートだ! カッコつけるな!」と突っ込みたいと
ころですが、この辺りに、50年以上前のフィルムを再編集して売り込もうと
する「むし返し販促」の思惑が透けてみえるような気がします。 ともあれ、ジョンとポールは解散の4年後に再会・和解していたというウワ
サは活字だけでなく、『失われた週末』が見せた、2人が並んで笑っている写
真で一応は了解でき、写真だけにインパクトがありました。しかし一方で、ビ
ートルズの解散後に出生した、購買力のある若年層(?)を対象に、大昔の「
伝説のグループ」を持ち上げるのは、くどいようですが、映像・音楽ソフト販
売のためのプロモーションではないか、との疑いは消えません。 私は実質10年ほどしか活動しなかったビートルズより、前に当ブログで書い
たように、息長く活動を続けたローリングストーンズの方が好きで、ビートル
ズに対する、あの手この手の宣伝活動には素直になれないところです。いささ
か興奮して長くなりました。恐縮でした。