作成日:2023/10/01
東北信州の山4つ
7月下旬の東北(3泊4日で3山)に続き、9月下旬、再び東北・信州の
山歩きを楽しんできました。名古屋→仙台の太平洋フェリーを使った6泊7
日(4山)の山巡り。天気は今ひとつながら、変化に富んだ1週間でした。
長くなりますので、関心のない方はスクロールを(当メルマガのメインは
「3」以降の「人事労務ニュース」です)。
23日15時、車にて出発。伏見から京滋バイパス、名神、新名神、伊勢湾
岸道を伝って名古屋フェリー港。19時に出港し、翌24日16時半に仙台港に
入るまで22時間弱ずっと船内です。退屈しました。九州往復でよく使う夕
方出港、翌朝入港の瀬戸内航路は10時間ほどで、瀬戸大橋や来島海峡大橋
下の通過などのメリハリがあり、ほとんど揺れない。一方、太平洋フェリー
は海岸から20キロほどの沖を進み、デッキに出ても周囲の風景は変わらず、
瀬戸内海より横揺れを感じました(航程は名古屋→仙台→苫小牧)。
着岸後すぐ東北道に乗ってJR盛岡駅そばのビジネスへ。翌25日ホテル
から東北道をさらに1時間ほど北上して八幡平のレストハウスへ。ここか
らやっと山歩きです。遊歩道を辿って山頂(1613メートル)の展望台に
上がり、ガマ沼、八幡沼などを一周してレストハウスまで戻って約2時間。
天気良く、人も少なく、池塘がいくつもある湿原と、尾根伝いに行けそう
な岩手山、その右手の秋田駒ケ岳、さらに遠く鳥海山まで望め、満足でし
た。
正午前に八幡平から下り、目指したのは青森市郊外にある縄文時代の三
内(さんない)丸山遺跡。ところが、ここで大失敗。「三内丸山の休みは
年末年始」と聞きかじったまま、年末年始以外の月1回の休館日のチェッ
クを怠り、それが第4月曜。つまり、めったにない休館の25日に狙いすま
したように現地入りしたというアホな展開です。ツメの甘さに呆れます。
不運無縁失敗挫折敗退を繰り返し、打たれ強さだけがトリエの誰かの半生
そのままではないか(爆笑)と納得しました。
気を取り直して弘前に移動し、岩木山山麓で写真を撮り、弘前城跡を一
周し、ブックオフ弘前城東店に立ち寄った後、青森県南部の大鰐温泉に投
宿です。入湯後の夕食で瓶ビール2本を空け、三内丸山はいつかまた来れ
る、と慰めました。
26日朝、大鰐から東北道経由で酸ケ湯に向かい、車を置いて北八甲田
の樹林帯に入ります。緩やかに登り、湿原の下毛無岱(しもけなしたい)、
上毛無岱経由で大岳まで。紅葉には少し早いものの、景色は良く、岩木
山が大きく、白神山地も遠くに見えます。ただ、途中からガスってきて
大岳山頂(1585メートル)は雲の中。北八甲田を一周する仙人岱経由で
酸ケ湯に戻りました(この下山ルートは歩きにくく、毛無岱経由を往復
するピストンがお奨めのように思います)。
酸ケ湯からまた東北道に乗り、24日に続き、盛岡の同じビジネスに投
宿。翌27日は小雨のなか一般道を西に進み、田沢湖まで。午後から雨は
やむ予報だったので、湖畔から秋田駒ケ岳の8合目まで車で上がってい
きます。駐車場から歩きやすい登山道を阿弥陀池まで、そこから30分ほ
どで秋田駒山頂(1637メートル)。遠くは雲の中なれど、近くの山々は
よく見えました。往路を戻り、8合目から一気に下りて東北道、さらに
福島市内のビジネスに向かいます。
28日も朝から雨。福島競馬場そばのホテルから一般道を走って「あだ
たらロープウエイ駅」へ。しかし、上がるにつれ本降りとなり、行く手
の山頂駅はガスの中。予報も芳しくなく、山頂駅から風雨のなか安達太
良山を目指すのはきついのではと予測し、登るのは断念しました。その
まま東北道を南下し、インターを降りてJR宇都宮駅そばの餃子専門店
に入り、12個入りのダブル定食を堪能(内心<餃子の王将>の方がうま
いと思いましたが)。次いで再び東北道、関越道等を走り、夕刻、群馬県
西部の草津温泉に投宿です。
最終日の29日朝、草津温泉の旅館から本白根山のドライブインに向か
うも、火山活動の警戒警報発令中で入山禁止。駐車もできず、通過して
群馬・長野県境の渋峠へ。車を置いて目の前の横手山(2307メートル)
に登りました。30分ほどで、今回4つ目。志賀高原で最も高い山で、山
頂からは浅間山、四阿(あずまや)山、頸城(くびき)山群、北アルプ
スなどが見えます。
下山後、長野市内に降り立ち、時間があったので近在のブックオフ3
店を回り、長野、中央、名神道にて戻りました。6泊7日はいささか長
く、スマホでメールチェックする設定登録が不完全だったので、電話や
LINEは使えたものの、帰り着いた事務所のPCには業務上のメールが
20通ほどたまったまま。あせって1週間ぶりに仕事を再開しました。
ともあれ、今回も楽しい一人旅。体の自由が利くうちに、と計画しま
したが、帰ってすぐにまた欲が出てきました。東日本に出向くのは、西
日本の登りたい山は(屋久島・宮之浦岳以外)おおむね片付けたから。
中日本より東日本を優先しているのは、遠方に赴く気力体力持久力を考
慮した結果です。















